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門池の竜

むかし、むかし。
天に、大変仲の良いおすの竜とめすの竜が、帝釈天様のめし使いとして住んでいました。 ふたりは、きょう夫婦になったばかりでした。

ふたりは、ぽかぽかと暖かい春の日ざしを受けて、楽しそうに天上のお花畑を歩いていました。 仲よく歩きながらときどき立ち止まって、夫の竜の手の中をのぞきこんでは、顔を見合わせ、うれしそうに笑い合っていました。ほんとうに楽しそうです。夫の竜は、飛んだりはねたりしながらも、右手には、しっかりと大事なものをかかえていました。 「大事なもの」とは一体なんでしょう。それは、きらきらと七色にかがやく美しい玉でした。このすばらしい玉は、ふたりの結婚のお祝に帝釈天様が下さったものです。妻の竜がのぞきこみながら言いました。

「わたしは、こんな美しい玉を、今までに一度も見たことがありません。」 「わたしもそうだ。この玉は美しいばかりでなく、雲をわかせたり、さらには、雨を降らせたりすることのできる不思議な玉だと言うんだからなあ。大事にして一生わたしたちの宝物にしよう。」

ふたりは、かたをよせ合い、玉をのぞいては話し合っていました。そのうちに、妻の竜は、玉があまりに美しいので、自分の手で持ってみたくてたまらなくなりました。 「わたしに、その玉を持たせて下さい。」 「いやいや、これは、帝釈天様からいただいた大事な宝物だ。落としたりしたらとんでもないことになる。」 「少しだけでよいのです。ぜひ持たせて下さい。」 妻の竜は、どうしても自分で持ちたいのだと、手をさしのべてなおもたのみました。しかし、夫の竜はさしだされた手をおさえて、大事そうに箱の中へしまおうとしました。 「いいでしょう。少しだけ。」 「家へ帰ってから、ゆっくり見ればいいじゃあないか。」 夫の竜は、やはり心配なので、持たせるわけにはいかないと思いました。 妻の竜は、とうとう夫の竜のうでをつかんで玉を取ろうとしました。夫の竜はびっくりしました。 「ま、まってくれ。そんなに……。」 夫の竜が言い終わらないうちに、妻の竜は玉に手をかけていました。夫の竜は、仕かたなく玉を妻の竜にわたそうとしました。妻の竜は、それを受け止め、手でしっかりとにぎろうとしたそのときです。 とんでもないことが起こりました。妻の竜が、足もとの石につまづいてよろめいてしまったのです。 「あっ!」 玉は、妻の竜の手のひらからするりとすべり、ころころと雲の上をころがっていきました。

「しまった。」 夫の竜は、あわてて玉を追いかけました。妻の竜も息を切らして後を追いかけました。ようやく追いついた夫の竜が手をのばしたとたん、玉は「あっ。」という間に、雲のすき間から下界にころげ落ちてしまいました。

「ああ、どうしよう。」 ふたりの竜は、青ざめた顔で雲の切れ間から下界をのぞきこみました。 玉は、はるか下界の山へ落ちてキラキラとかがやきながら木々の間をころがっていきます。やがて、沢を下り、まばゆい光をはなちながら広い芦の原のしげみにその姿を消しました。間もなく 「ドボン。」 としぶきを上げて大きな門池にしずんでしまいました。水面には、金色にかがやくさざ波の輪が静かに広がりました。 ふたりは、身動きもしないで、玉の落ちた芦のおいしげっている池のあたりをのぞきこんでいました。

夫の竜は、大きなため息をつきました。 「大変なことをしてしまった。帝釈天様になんといっておわびをしたらいいんだ。どうしたらいいんだ。」 雲の下に見える下界は、なにごともなかったかのように、のどかな春の光に包まれています。 「こまった、こまった。よい方法はないものか。」 とつぶやく夫の竜のかたわらでふるえていた妻の竜は、とうとう泣き出してしまいました。

「わたしが悪いんです。わたしが落としたのです。わたしが気をつければこんなことにはならなかったのです。あの池へ下りて玉を探してきます。」 夫の竜はびっくりしました。下界へは下りることができても、また、天にもどることはできないのです。 「とんでもない。それはやめてくれ。おまえが下界へ下りてもどらなかったら、わたしはどうすればよいのだ。」 夫の竜は、妻の竜のかたに手をおいて、やさしくなだめ、きっぱりと引き止めました。

しかし、妻の竜は、固く決心しました。 「せっかく、帝釈天様からいただいた大事な玉ですもの。わたしは、どうしても探しに行って参ります。それに、あの玉さえ見つければ、雲を呼ぶことができます。雨を降らせることもできます。それに乗ってきっとあなたのもとへ帰ってきます。どうか心配しないで待っていて下さい。」 いうが早いか、妻の竜は、止める夫の竜の手をふり切って、そのままするすると下界へ下りていきました。妻の竜は、山の木々の間を通り、芦原のしげみをぬけて玉のころがった後を追ってようやく門池の岸辺に立ちました。

「たしかに、このあたりに落ちたと思うけれども……。」 と池の中へ入っていきました。 水中では、水草が静かにゆれて、こいやふながすいすいと通りすぎていきます。 この広い池の中で小さな玉を探し当てることは容易ではありません。水底の土をかき分け、石のすき間をのぞき、はては岸辺の芦原のしげみの中までも探し回りました。しかし、どうしたことか、玉は、どこにも見当たりません どれほどの年月がたったのでしょう。妻の竜は、とうとうつかれ果てて動くこともできなくなりました。池の中ほどにある大きな石の上にからだを横たえた妻の竜は (こんなに探しても見つからないのは、大事な玉を落としてしまったわたしの不注意を帝釈天様がこらしめておられるにちがいない。)と考えました。 (わたしは、もうあの天上にもどることができないのでしょうか。天上では、夫の竜はどうしているのでしょう?ふたりで仲良くすごした天上でのあのころ……。) と次から次へと走馬灯のように思いうかべ、胸が一ぱいになりました。なみだが石の上を伝わって池の中へ流れ落ちました。

天上では、夫の竜が、雲の切れ目を見つけては、くる日もくる日も下界をのぞいていました。下界へ下ったきり帰ってこない妻の竜のことが心配でたまりません。門池の近くには、それはそれは大きな松の木が一本、天にそびえ立っていました。 ある日、夫の竜は、この松の木のてっぺんまで下りてきました。池のあたりをなん度もなん度も見回しましたが、妻の竜の姿はどこにも見当たりません。 「どうしたのだろう。玉は見つからないのだろうか。」 一緒に探したいのですが、地上へ下りると妻の竜と同じように天上へもどることができなくなってしまいます。

ある日のことでした。 いつものように、松の木の上まで下りてきた夫の竜が、松の木の根元のしげみの中を通りかかる妻の竜を見つけました。胸がどきどきしました。そばへ走りよりたい気持ちをじっとこらえて静かに言いました。「玉がまだ見つからないのだね。でもあきらめてはいけないよ。根気よく探せば必ず見つかるからね。」 「はい。あきらめたわけではないけれど。いくら探しても見つからないので、もう、くたびれてしまいました……。」
悲しそうに松を見上げて答える妻の竜は、すっかりやつれていました。 「なんとかして、玉を見つけて天上へ帰ってくれ。わたしの所へもどってくれ!」 夫の竜は、久しぶりに出会うことのできた妻の竜になんの手助けもできず、もどかしさに身をふるわせました。
「わかりました。がんばります……。」 夫の竜にはげまされた妻の竜は、気を取り直して池の方へ向っていきました。こうして、池の中をくまなく探す日々が続きました。
しかし、玉はなかなかみつかりません。月日は流れましたが、玉はやっぱり見当たりません。とうとうこの芦のおいしげった池のあたりの主となって、玉を探しながら住むようになってしまいました。 夫の竜は、毎日のように松の木の上まで下りてきて妻の竜の姿を探しましたが、その後は見つけることができません。それでも、松の木の上から芦の原や池を見守ることをやめませんでした。
このようにして、あの玉を落とした日から九百九十九年の年月がたちました。帝釈天様は、くる日もくる日も松の木まで力なく下りていく夫の竜の姿と、よろよろと池の中の玉を探し回る妻の竜のようすを、じっとごらんになっていました。
(ああ、あわれじゃのう。不注意で玉を落としたのじゃから、こらしめのために玉が見つからないようにしむけたのじゃが。もう、いいじゃろう……。) とつぶやきました。

そして、ある日、夫の竜を呼びました。 「なにか御用でございますか。」

「お前を呼んだのはほかでもないが、わしがさずけた玉を見つけ出して、妻を早く天に連れもどしたいじゃろう。どうじゃな。」
「はい。さようでございます。」 「それでは教えてやろう。よく聞きなさい。」 「はい。」 「あれから丁度、来年が千年目に当たる。その千年目の、玉を落としたのと同じ日に、下界の山や沢や、そして芦のしげみや池などがはっきりと見える日がある。

そのときに、あの玉がピカッと光る。しかも、下界からは、お経を唱える声が聞こえてくるからよくわかるじゃろう。そのとき、玉を見つけ出し、手にのせて、雲をわかせ、雨を降らせて、一気に天にのぼるのだ。」 夫の竜は、帝釈天様のおっしゃることを一つ一つうなづきながら、しっかりと聞きました。暗闇に一すじの光がすうっとさしこんできたような気がして胸がおどりました。
「ありがとうございます。では、さっそく妻の竜に知らせてやりたいと思います。」 夫の竜は、池の近くの松の木へ急ぎました。妻の竜は、広い池の中か、芦のしげみのどこかにいるはずです。夫の竜は、木の枝から身をのり出して大声で話しました。次の日も次の日も松の木の上から、夫の竜の声があたりにひびきわたりました。これを聞きつけた妻の竜は、元気を取りもどし、静かにその日を待つことにしました。