日本人の宗教心

「あなたの宗教は何ですか。何の宗教を信じていますか。」と質問をしたとしましょう。 統計によりますと、外国、特に西欧では、ほぼ95パーセントの人が「○○教です。」と即時に答えるといいます。さて日本人はというと、日本人の70パーセントの人が「無宗教」と答えたと報告されています。統計をそのまま信じるとしますと、日本人で宗教心を持っている人は30パーセントにしか満たないことになります。本当に日本人は宗教心の薄い民族なのでしょうか。 これは明らかに誤解です。数値だけで判断するととんでもないことになります。日本人は特定の宗教を名指しはしませんが、すべての神仏に対する畏敬の念は、他国に劣らず、いやそれ以上に信ずるこころを持ち合わせている国民だと断言できます。何故ならば、西欧の宗教は並べて一神教に由来するからです。すなわち、一神だけを選び取る西欧的信仰に限定される故、高い率になるわけです。一般的に普遍宗教と呼ばれる仏教、キリスト教、イスラム教が世界各地に伝えられその地に根付くには、在来の宗教を根絶するか、譲り合って仲良くするかどちらかになります。穏健な仏教がキリスト教的根絶を選ばず、折り合いの道を選らんだこそ、日本的な宗教観が生まれたのでしょう。 日本人は暮ともなれば、お寺の除夜の鐘を打ち、またはお正月には、神社、仏閣に大勢の人々が参詣します。外国では見られない、日本でいう最大の宗教行事といえるでしょう。お盆には殆んどの人が里帰りをし、先祖の墓地にお参りし、民族の大移動が行われます。日本人は各地の神社にも参れば、寺院にもお参りします。しかも神社でいえば、お稲荷さんにも天神さんにもお参りします。寺院でも同じで、観音様にもお参りすれば、お不動さんにも手を合わせます。道ばたのお地蔵様にもお花を手向けたりします。 また供養にもいろいろあります。人形供養、茶せん供養、げた供養、針供養、筆供養、水子供養、鳥供養、蓄霊供養、ペット供養、印章供養、数えられないくらいの供養の様子があげられます。これは単なる「もの」として扱うのではなく、そのものを通じてその奥に流れるなんともいえぬ大きな力に感謝する、こころの表現ではないでしょうか。 このありようは外国ではありえない物心一如の純粋な宗教心でなくてなんでしょう。外国人があこがれ、自他ともに認める日本文化の底にながれる「わび、さび」の世界は到底外国人には理解できないものでしょう。だからこそ、外国人はお茶を習ったり、お花を生けたり、坐禅を修行したり、合気道、空手、柔道、剣道など日本独特のスポーツに興味を持ち、少しでも近ずき理解できるよう努力をしているのではないでしょうか。例えば、私の寺で実施している早朝の坐禅会は日本人は長続きしないのに比べ、外国人が休まず来ています。 日本人はもっと自国の文化に自身を持つべきです。素晴らしい環境と四季のある風土に恵まれた世界に感謝すると共に、人間だけを最高とする独善的な考えでなく、森羅万象を包み込むような大らかな考え方を持ち合わせている日本人の心に胸を張るべきでしょう。日本人は決して信仰心に薄い国民ではなく、むしろ信仰心に厚い国民といえるでしょう。

平成16年12月吉日

三明寺住職 大嶽 正秦