本物を求める

曽洞宗の本山で福井県にある永平寺に研修会として、檀信徒と共々山篭する機会を得ました。久し振りの参拝で大変懐かしく感じられました。宮崎禅師様は九十六才という五高齢ですが大変お元気で朝の座禅とお勤めには必ずでられるとのこと、敬服致しました。朝は三時半起床、本堂はとても寒く、素足で歩く雲水さん達の作法がとてもきびきびとして印象的でした。帰途、三代目の徹通義介禅師が開かれた金沢の大乗時に立ち寄りました。。三十人程修行僧が手厚く迎えてくれました。 板橋住職の法話の中で、「この修行道場の平均年齢は五十八才で、若い二十歳そこそこの者もいれば、定年を迎え、この道に入った人もおり、ほとんどの雲水さんが在家出身者です。私が住職した頃はがらんは大きいけれど、あちこちひどくいたんでおりまして、格が立派なだけで、ひんそな寺でした。今でも変わらず貧乏ですが修行したい人が増えています。毎日座禅とお掃除と托鉢を第一に修行させていただいております。」と話されました。 三千人もいる或る石油会社副社長さんが、定年を機に、奥様や子供さんに了解して貰い、出家した方がこの道場にいらっしゃいました。もちろん、オウムの様な出家とは次元が違います。何かに困って出家したのではなく、何不自由のない立場でありながら、それを捨てて、自己の心に即し自由に生きる。在家の身では満たされない、本当の道を求める純粋な人も世の中にはいるものです。 雑誌の記事に銀座のビルに事務所を構え、化粧品を売るために全国を公演して歩き、著書も多く、美人で人も羨むような人生を歩んでいた女性が、突然旅の僧に求婚され、結婚し、出家し、修行して、現在は逆に全国で説法して歩いている尼僧さんもいるとありました。 混迷の時代、絶対なる付加価値のあるものを求める兆しがあるように思います。ベルトコンベアーに乗せられたような人生ではなく、人は人、己は己の価値創造の人生を歩むのも素晴らしい生き方だと思います。 最近、天台宗では、全国に修行層の公募をいたしました。後継者難が一つの理由だそうですが、これに対し新しい風を吹き込むことを期待しての試みでもあるようです。既成仏教界が全てではありませんが世襲になってきております。時代や歴史的背景を考えますとしかたが無い面もありますが、新興宗教が台頭してきた理由も理解できるような気がします。 時代的潮流として形や形式ではなく、本物が求められている時ではないでしょうか。

平成7年12月吉日

三明寺住職 大嶽 正秦