お釈迦様の生誕地

四月八日はお釈迦様のお誕生日です。各地で「花まつり」と称し、さまざまなイベントが繰り広げられています。沼津市仏教会では、四月七日、「ご生誕前夜祭」を催し、各寺院の僧侶、檀信徒ともども花御堂の誕生仏に灌仏し、お祝いしています。 さて、お釈迦様の生誕地につては昔より二説ありました。それは、インド説とネパール説です。ネパールのルンビニーは、これまでもお釈迦様の生誕地の最有力候補とされてきました。その理由はお釈迦様の母親であるマヤ夫人を祭るマヤ堂の敷地内から発掘された石室が、十五ある石室の真中に位置しており、お釈迦様の幼名であるシッダルター王子とその夫人をかたどつた陶器や銀貨などがおさめらめていたからです。しかし、インドの考古学者達はインド北部に生誕地があると主張、論争がつづいてきました。 ところが先頃、これはネパールが本当であるということが、ネパール・インド・スリランカ・パキスタン・バングラディッシュ・日本の六ヶ国の考古学専門協議会により認定されました。それは、昨年、ネパール南西部のインド国境に近いルンビニーのマヤ堂と呼ばれる礼拝堂の中心部の地下二メートルから、東西二十一メートルの規模の外壁とその内側に囲まれた構造物が見つかったからです。回りには、紀元前三世紀に北インド一帯を支配した古代インド・マウリア王朝期の陶器や貨幣も一緒にありました。中心部にあった石碑板は縦七十センチ、横四十センチ、厚さ十センチの自然石で、それを囲むように七層のレンガ造りの最上部の「基檀」が配置されていたものです。仏教経典などによると、仏教を厚く保護したマウリヤ王朝のアショカ王が紀元二四九年にルソンビニーを訪れた際、お釈迦様が誕生した場所を教えられ、記念に石碑板をおき、碑文を刻んだ王柱をたてたとされています。王柱は十九世紀末にマヤ堂付近で発見されましたが、今回見つかった平石がこの石碑板にあたるというわけです。 釈迦誕生から二千年以上を経て、ようやく生誕地をめぐる長年の論争に終止符がうたれたようです。

平成八年四月吉日

三明寺住職 大嶽 正秦